性とナンパ 2012

別段、美男子ということもないが、知性のある顔立ち。落ち着いた雰囲気。下品さというものがない。

ナンパは数をかければ、誰でも成果はあげられる。ある程度までいけば、上手くなることなんてない。ルーティンワークを繰り返す、どちらかといえば知性と品性に欠けた行為だ。僕自身もやりながらそんなことは分かっているつもりではいる。

そのルーティンワークの罠にはまりながら、それに快楽を見出してしまった人の声かけは醜い。佇まいも、話し方も醜い。そういうことを自分についても思っていた。

彼は吸い寄せられるように女の子に近づいて、声をかけた。ロングコートのポケットには手をいれたまま、そして、今彼に訪れている会話の機会を喜んでいるように思われた。力が抜けている。

僕はずっと考えていた。
ナンパってなんだろうって。

性とナンパについて渋谷で考えている人間について


あけましておめでとうございます。新年早々、カウンセラーの友人に自分のことを書いてもらいました。正直かなり恥ずかしい気持ちでいっぱいですが、ナンパ師らしくこの恥ずかしい気持ちを乗り越えて、あえて拡散してみたいと思います。内容については自分ではなんとも言えませんが、「別段、美男子ではない」とか特に言わなくてもよかったんじゃないですかね(笑)


ブログエントリーを頑張って書かなくなって久しいですが、今でもたまに思わぬところで「読んでます」「ファンです」「ありがとうございます」みたいなことを言ってもらえることがあります。複雑な心境です。嬉しさと恥ずかしさと多少の無感動が織り交ざったような。そういう時は密かに、自分は一体何のためにブログを書いていたんだろうかと自問します。そういえばもともとは一人でせっせとナンパに明け暮れていて、自分以外に一人のナンパ師の存在も知らない状況で、「もしかして俺ってけっこうすげーんじゃねえか?」「俺のほかにこんなこと考えて実行してる奴いるのか?」という気持ちを持て余しすぎて、ブログを書き始めたのでした。<俺を認めろ><俺がしているナンパという行為を認めろ>という 小さな虚栄心からのスタート。その虚栄心は意外にもごく早い段階で満たされ、それから文章はナンパを啓蒙するようなものが多くなっていったような気がします。それは「言葉だけを使ってどれだけ人を動かせるのか」という一つの実験めいた試みでしたが、自分の非力さも相まって大きな限界を感じ、そして文章は失速していったのでした。
今年は誰かのために何かを書くことはないでしょう。それがたとえ、誰かにむかって何かを語りかけているように見える時であったとしても。自分のために言葉をひねりだすということをしっかりと意識してそれに専念したい。もしくは、大なり小なり人の心理に関する実験的な試みを続けていきたい。上の友人の言葉を待つまでもなく、俺の頭の中はたくさんのイメージで溢れています。そのイメージをぶちまけたい。その射程に偶然誰かがいて勝手に共振するというのなら、それこそブロガー冥利に尽きるというものでしょう。手短かではありますが、今年もよろしくお願いいたします。